コラム

ケアに関するコラム集です。

ヘルパー交響曲 第1番 『日常』

非日常から日常の場へ

 60歳を機に、デイサービスの介護職員を辞めて、ホームヘルパーに転職し、2年近くが経つ。デイサービスで25年間も働いてきたので、新たにホームヘルパーという仕事に慣れるまでは、『介護職』という同じ仕事のくくりではあるものの、かなり大変だった。
 デイサービスは“非日常の空間”である。自宅で暮らす要支援・要介護のお年寄り達がデイサービスに集まり、彼らに入浴や食事、リハビリの機会などを提供する。他にも、「今日は○○さんが来ているから、彼女の好きなゲームをおやつまでやろうか」とか、「お彼岸なので、皆で昔を思い出しながらぼた餅作りをやろう」とか、「桜が咲き始めたから、リハビリも兼ねて、近くの公園にお連れしようか」等々、家での生活ではなかなか味わえない、デイに来たからこその“お楽しみ”を提供しようと、頭を使い、準備もして、率先して自ら笑って場を盛り上げ、というように頭も体もフル回転で働いていた。だから毎日、仕事が終わると、エネルギーを使い果たしたような状態になり、疲労感と達成感を同時に味わっていた。
 一方、ホームヘルパーの仕事は、“日常の場”で行われる。利用者と一対一で向き合えることはこの上なく幸せであるし、我が家という“城”の中で、その人らしさ全開で暮らしている利用者の姿を見るにつけ、こちらまで嬉しくなった。とはいえ、現実には、決められた訪問時間内に、決められたいくつものタスクをこなさなくてはならないので、常に時計を気にしながら動かなくてはならず、利用者とじっくり会話をする時間もあまりない。そして、今日も明日も明後日も、利用者の自宅での暮らしが変わりなく続いていくための支援を行う。具体例を挙げれば、日々出るゴミを分別して集積場所に出したり、室内の掃除をして清潔を保ったり、入浴の介助をして汚れた衣類を洗濯したり、冷蔵庫にある食材で簡単な料理を作って提供したり等々、デイサービスの介護職とは業務内容が大いに異なる。レクリエーションのネタを考えることもないし、場を盛り上げる必要も一切ない。家族に代わって、安心を提供することが大事であり、毎日同じことを繰り返すことが、“日常”を生み出していく。
 暮らしの最前線における支援の重要性を頭では分かっていても、毎日、テンションを上げてデイを回すことに慣れきっていた私には、ヘルパーになってから、なんかこれでいいのかな?、と手応えのなさのようなものを感じてしまっていた。でも、そんな私の目を覚ますような利用者の一言に出会うことになる。

「リンゴを眺めたい」

 太郎さん(仮名)は一人暮らしで、奥様は入院中であった。一人暮らしになってから自身も体調を崩されて、ホームヘルパーを利用することになった。私は週1回の訪問で、近所のコンビニでの買物代行と洗濯などを頼まれていた。あの日、「今日は何を買ってきましょうか?」と太郎さんに尋ねると、おにぎりやサンドウィッチに加えて、「丸のリンゴを1個買ってきてほしい」とおっしゃった。台所にも立てていないご様子だったので、「ご自分でリンゴを剥けそうですか?」と聞くと、「リンゴをテーブルに置いて“眺めたい”」とおっしゃる。それはどういうことかと伺うと、奥様が長野県出身で、毎年、親戚からリンゴが箱で届いて、部屋中にリンゴがあるのが当たり前だったそうだ。今年は奥様が入院中なので、親戚もリンゴの発送を控えているのだろう。だから、リンゴの姿が見えないのが寂しいらしい。「リンゴは、ふじリンゴでお願いします」と銘柄まで指定された。
 リンゴを食べるのではなく、“眺めたい”という言葉に感動してしまった私は、よしっ、太郎さんのこれまでの日常の風景を少しでも取り戻そうと、勇んで買物に出かけた。いつも行くコンビニには、案の定、カットされているリンゴしかなくて、リンゴ以外の注文の品を全てそこで購入すると、少し先のスーパーにまで足を伸ばし、バラ売りされているふじリンゴ1個を購入すると、急ぎ戻った。

その人にとっての日常

 目の前にふじリンゴ丸1個が置かれた太郎さんは、神妙な顔でリンゴを手に取り、鼻に近づけて匂いをかいだり、両手で野球ボールのようになで回したりした。私は幸せな気持ちでその様子を見ていたが、太郎さんから出た一言が、これまた思いがけないものだった。「これは本当にふじですか?こんなに小さいの?」
 そこで気がついた。たぶん、田舎から送られてくるリンゴは贈答用レベルの、1個1個が大きくて立派なものだったのだろう。私が購入したのは1個200円もしない、私が普段スーパーで買っているのと同じ、山積みで売られているリンゴであった。もっと高級フルーツが並ぶ棚の方に行って探すべきだった。彼の日常をつかみかけたと思ったのに、うっかり私自身の日常が顔を出してきて、ぶち壊してしまった。
 リベンジの機会が与えられたら、今度こそ、太郎さんにとってのふじリンゴを買ってこようと思ったのだが、彼の体調がさらに悪化し、在宅生活が続けられなくなり、訪問は中止となってしまった。

日常は『地味』ではなくて『滋味』

 私は少々、日常というものを侮っていた。表面的にしか捉えていなかった。日常生活を維持するために、洗濯して掃除して料理して、トイレ介助して入浴介助して、そしてそれらを繰り返して。ホームヘルパーは地道な支援を続ける根気のいる仕事、地味(じみ)な仕事に見えていたが、実は奥深い、滋味(じみ)に触れる仕事なのだなあと反省した。
 自宅は、その方の暮らし・生き方が詰まっている、さながら“歴史博物館”である。食器棚にあるお皿一枚一枚にも、購入した時の思い出があり、そのお皿によく盛り付けられた料理があったはずである。今はポツンと一人暮らしであっても、半世紀前には、台所に立つ奥さんの後ろ姿が見えて、隣の部屋からは子供たちの遊ぶ賑やかな声が聞こえていたのかもしれない。何気なく置かれた、埃がうっすらと被っているような物にも、柱の傷にも、窓から見える庭の景色にも、ありとあらゆるものにその方の物語が宿っている。その人唯一の歴史博物館に来ているのに、自分のタスクばかりで頭がいっぱいなのはもったいない。
 ヘルパー1年生・2年生の私には、それも仕方がなかったが、仕事にも慣れてきて、少しは心に余裕も持てそうなヘルパー3年生では、博物館に眠っている一つ一つのささやかな物語を、その方に教えてもらいながら、日常に宿る滋味を味わえていけたらなあと思っている。